自由を再定義する-メルマガ人間論vol22-

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自由は始めからあったわけではない

「自由」と聞くとどのようなイメージがあるだろうか。

何物にも捉われず、奔放にふるまい、至高の状態だと思っていないだろうか。そして、それは当然の権利として皆がもっていると思っていないだろうか。

人間は社会を作って以降、一定のルールを作って暮らしてきた。階級制度を生み、差別を生み、そして一部の特権階級の人間だけが裕福になるといった時代もあらわれた。それに抵抗するために、人々は自由を求めて戦った。命を投げ出し多くの犠牲のもとで自由を得たのだ。今でも地域によっては自由な生活ができない所もある。

自由とは当然に与えられた権利ではないのだ。

自由に生きるかどうか

自由とは何の責任ももたないことではない。逆に全ての責任がのしかかる。

自由にしても良いと言われると、だれに指図されたわけでもないので責任の所在が自分以外になくなる。会社も先輩も上司もだれも守ってくれない。それが自由である。そして社会で暮らす以上、自由と言えどもその限度は当然にある。何をしても良いわけではない。決められた枠がないために自分でその枠を定め、それに責任をもたなければならない。

こう考えると自由がすばらしいものではないように思えるはずだ。会社に在籍するなどある程度の枠があって、その中で好きにさせてもらえる方が楽である人も多いだろう。それはそれぞれの考え方しだいである。

自分で全ての責任を背負って戦って自由を勝ち取るか、枠の中で守られたまま動きを制限されて暮らすか、それは生き方によって違う。置かれた境遇によっても違うだろう。

ただ自由というものが当然に与えられた権利で、一切の責任を負わない無責任な状態であるという考えにはいっさい賛同できない。

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