ネット上にあるコメント欄を見て思う-メルマガ人間論vol23-

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コメントを投稿できるサイト

コメントを発信できる機能がついたニュースサイトが一般的になった。

それによってこれまでは見ることのできなかった、一般の意見を閲覧することができる。このニュースに対してどのような意見をもっているのかということを簡単に見ることができるのだ。

それについての意見を書くこともでき、さまざまな議論がなされていることが多い。私も利用している野球情報をリアルタイムで配信してくれるサイトにもそういった機能がある。

これらを見たことがある人たちは分かるだろうが批判の嵐である。レスポンス重視のために短文をスピーディに掲載している点は理解できるのだが、あまりにも短絡的で感情的な内容が多い。

相手をイメージする

ある出来事に対してどのような感情や意見をもっても構わないのだが、全国に発信できるレベルにないと感じてしまう。単なる誹謗・中傷や、情報弱者をバカにしたような言い方、さらには全く無関係の人間や話題についての批判などが見られる。

当然のことだが言論の自由があると声高に叫んでもそれは全く違う。前回にも書いたが自由だから何をしても良いわけでない。自由であるからこそ、皆が自身でルールを作り、守る必要がある。そのルールとは何か?

それは「相手」がいるということである。

発信した情報には受け手がいる。その受け手のことを考えて情報を発信する必要があるのだ。サイトに書かれているいくつかの意見は、受け手を無視して意見を発信し満足している。それではルール違反だ。批判をするならば、なぜその批判が生まれたか、そして批判をした意見に代わる案を示さなければならない。

これらのコメント欄を見ていると、声高に叫ぶ少数の人たちの意見がマジョリティを得ているような錯覚に陥ることがある。これをノイジーマイノリティとよぶ。

これらの意見に騙されてはいけない。そしてノイジーマイノリティになってもいけない。意見に責任をもち、論理を明確にして提案しなければならない。

私が読んだ本にこのように記してあった

「批判者になるのではなく創造者になるべきだ」

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